ひなまつりと母
またまたゾロ目の ひなまつり でした。
3月3日 みみの日でもありました。
ことしは お雛様を 全く出さないうちに ひなまつりを通過しちゃいました。
ちょっぴり みみの下が痛かった。。。みみの日でした。
そういえば 母は手先が器用で紙細工でつくった雛飾りなども
お世話になった方々にさしあげたりしていました。。
調子をくずして 腕にマヒが起こった時。。
あなた達(私と妹)の分もおひなさま 残しておけばよかったかもねなんて言っていました。
私は、、
大丈夫 リハビリして また造ってもらうからって 言ってましたっけ。
それから わたしが幼い時 “服部さん(はっとりさん)”という方を “はっちろさん”と呼びかけていた時の話を おもいだしていました。
一時両親が親元から離れて住んだ 文京区の動坂(どうざか)町というところ。
今の千駄木のあたりのようですが、、、
材木屋さんのうえのアパートで それこそ ちゃぶ台ひとつと食器棚、タンスひとさおくらいで 若夫婦と2歳前後のわたしがひと部屋に住んでいて、、
隣に住んでいたのが 演劇を志す服部さんという方で、(はっちろさんネ)
私はよくそのお部屋に入り込んでセリフ練習などにつきあっていたようです。
大家でもある材木屋さんのご主人を見かけるたび わたしは二階のへやの窓から おおきな声で“あなた~!”と呼びかけるのだそうで
奥さんがご主人を “あなた”と呼ぶので きっとこのおじさんは “あなた”という名前だとおもっていたらしいです
そういえば あるとき 両親が宝塚歌劇団の公演を観に行き、 同行した私は感心なことに なかなか静かに見ていたのだそうですが。。。
しーんと静まりかえったラブシーンになり 主人公が 「。。。あなただって。。」とつぶやくシーンをみて そのまま オウム返しに 「あなただって~」とおおきな声でやらかして 観客が クスクス笑いになったと。。
そのころの生活は 両親にとって 質素ながらも楽しかった思い出のようで。。
分骨したお寺の母の位牌には 父の意向で “動坂”の文字が刻まれているのです
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コメント
素敵な思い出ですね!
ほのぼの、させていただきました♪(^・^)
お母さまは今もきっと変わることなく
時々くすくす笑ったり微笑んだりしながら
こすもすさんとご家族のみなさまを
優しく見守っていらっしゃるのでしょうね。
わたくしは、幼いころ
「山のあなた(彼方)の」…という時などに使う
「あなた」を「アナタ」と呼びかけているのだと
思い込んでいまして~~
以来、どんなモノや山や木々にも「魂」があって
呼びかければ応えてくれるんだ…と思い
いつも身の周りの色々なモノに話しかけていましたが
この考え方は、今も変わらず続いています。(笑)
投稿: ゆりあ | 2010年3月 4日 (木) 14時20分
ゆりあさんいつもコメント残してくださってありがとうございます
>素敵な思い出ですね!
ほのぼの、させていただきました♪(^・^)
そのように言っていただけてうれしいです
>時々くすくす笑ったり微笑んだりしながら
ふふふっ いろいろ心配かけてるかもしれませんが。。
笑っていてもらいたいきもちです
>山のあなた(彼方)の
はいはい
わたしもそうでしたよ。
聴こえたとおりに想像しちゃってね。
うさぎがおいしいかの山
もしくは 蚊の山だったりね(笑)
>以来、どんなモノや山や木々にも「魂」があって
呼びかければ応えてくれるんだ…と思い
う~ん これはすてきな思い込み
>いつも身の周りの色々なモノに話しかけていましたが
なんといううれしい共通点
>今も変わらず続いています。(笑)
わたしもでございます~
投稿: ゆりあさんへ*cosmos | 2010年3月 5日 (金) 23時25分
ちゃぶ台と、食器棚と、箪笥ひとさお…
なんだか目に浮かびます。
幸せな生活だったんでしょうね~
だからこそお位牌にも「動坂」の文字が…
素敵ですね~~
投稿: TAKAMI | 2010年3月 6日 (土) 20時47分
TAKAMIさん こちらにもコメントありがとう うれしーです
>ちゃぶ台と、食器棚と、箪笥ひとさお…
ほんとうにままごとみたいだったと 母が言っていました
私が生まれても親との同居が続き 独立生活のために 色々工夫しながらの別居だったようです。
母はおそらく23歳前後父も26~7歳の頃でしょう。
父もこの場所を大切におもっているのがわかってうれしかったです
共感していただけて しあわせ
投稿: TAKAMIさんへ*cosmos | 2010年3月 7日 (日) 02時13分