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観照という見方

数日前に 心の師のひとり 中健次郎先生のお話を聴く機会がありました。

中先生は すてきな奥様とともに 足しげく外国にも修練にお出かけされるせいか

お顔が 日焼けで輝いていましたよ

全国各地にファンが多く

日本中で こころとからだが健康になるセミナーをされています。

中先生は 誰にでもすぐ取り入れられる 気功を伝授してくださり

からだを動かすことと “気・(氣)”の動き

同時に こころの持ち方を丁寧にお教えくださるのです。

今回のテーマは “観照(かんしょう)”という言葉だったとおもいます。

観照とは 『本質を見極める』と PCの文字~意味検索で出てきました

どんなときにも この“観照を意識し忘れないでいる”ことができると

全体意識 のようなものに繋がって ものごとの本質がおのずからわかり

腑に落ちるということです。

ある物事に出あった時 ひとはともすれば

事象を観て判断し 揺れ動いたり 心配する心になることがあります。

この状態を “薫習(くんじゅう)”というそうです。

“薫習” とは 今まで生きてきたなかで習慣化された反応や思考で

知らず知らずに身についてしまった 考え方のクセや

条件付けをするこころの向きということです。

じつは “薫習”はすべてまぼろしなのですが

往々にして これが自分だと思い込んでいることが多いのだということなのです。

う~ん たしかにそうかも。。。

純粋な意識である“観照”をすれば 受け流して楽にのりきれるところを

ついいらぬ“観察”をして 良い悪いだとか 嫌悪だとか

あるいは自分や他人を責めたり 

ああしなきゃこうしなきゃと 影響されたり 

振り回されるようになったり という。。。事態に陥りやすい。

このぐるぐるまわりには 永遠に終わりがありません。

ここで 考えすぎたりすれば 悩み苦しみが尽きず

うつや病気のひきがねになっているケースも多いということです。

しかし うつや病気にしても 気づきの一過程ととらえれば

すばらしい転換へのステップですものね

私達は 自他共にどんな失敗も責める必要はないのですね

次に向かうときに “罪悪感”は不要です。

過去を悔む必要もないし 

ああでもない こうでもないと 

エゴの声にふりまわされる必要はないのです。

過去や未来の心配をせず

いま 何かを生み出そうとしている胎動を受け入れればいいんですね

この“観照”を使い慣れると

ものごとをありのままに見て 判断しないので

どんどんこころが楽になってきて 

入静(にゅうせい)”という状態になります。

そうなると

宇宙の元泉は り出そうととしているものだ

ということが 自ずからわかるということです

う~ん そのように心静かにしておこう

そこで 有効なのが 

やはり身体の動きなんですね。

静かに 身体の内側の“氣”を感じて

すうっと動かすことで 無心になることができますね。

(次に続きます

『病気が治る気功入門』中健次郎先生の著書

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