動中の静:氣をめぐらせて♪
(続きで~す)
さて 先にお伝えした“観照”は
ありのままに見て 判断していない状態なので
とても “平安”です
これは “一元(いちげん)”といわれるもので
氣が満ちてくる宇宙の意識 です。
もうひとつ 似ているけれど “観察”は
他者に影響されていて“不安定”です
これは “二元(にげん)”といわれるもので
氣がなくなった状態をあらわすのだそうです。
そっか~ わかりやすいなあ。。
また“無為自然”というのは
例えば 一滴の水が 大地に吸い込まれ
枯れてしまおうが 沁み込もうが
放っておいても ゆくゆくは大河の一滴になり
大海に流れ込むような 様子で
勝手にそうなる まさに自然になるのであって
努力してなるものではないということですね。
我々人間には そういった からだの自然な働きが備わっていて
“丹田”(たんでん:おへそより少し下腹のあたり)に
“元の気”があり これは 元気 や 元神、元精
というものに繋がっているそうです。
この 元気のもとたる “丹田”を イメージで分割して
からだの上の方向に 腕を添えながら
ずうっと持っていきます。
そうしますと 氣は “意念(いねん)”に沿って
上昇していきます。(誰でも)
これが すごく気持ちよいです。
動之則分::動けばこれすなわち分かれ
動之則合::動けばこれすなわち合う
って状態なのだそうです。
これが 動中の静 と
そして たいせつなことだとおもうんですが。。。
ここで 感じようと“努力”したりすれば
またしても“薫習”に振り回されちゃうんですね
ですから もし 何かに捲き込まれても
すっと“観照”に持ち込んで受け流す。
起こったことは受け入れ
悩まない! 捲き込まれない!
ここで いかに 無私(自分をなくする)にして
淡々としていられるのかが 運命の分かれ道(オーバー)
文字であらわすと 難しく感じられるかもしれませんが
実際には お話も 気功も とってもわかりやすいのです。
今回は中先生のお弟子さん 山本先生の企画で 我が家近隣での開催でした。
ありがたや~
大きな意味でいいますと。。
人は天の道具なのですから
淡々とその多様性を喜べばいいんだ
ということで。。。
シンプル イズ ベストですね~
。。。感謝。。。
お読みいただいた みなさまにも感謝です
ありがとうございました
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